「◯にたい…」と思う時、それは「◯にたいくらい辛いんだ」と言い換えてみることで自分が変わる。

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今日、こんな記事を見ました。

それは、『◯にたい」が口癖だった僕から、9月1日の君たちへ』という記事。

それを読んで、HSPの私はHSP気質で苦しんできた自分に重ね合わせ、涙が出ました…

そのことについて、今日は書いていきたいと思います。

著者 

とても心に響いた内容です。

  • 生きるのが、しんどい
  • 明日にも、もう希望がない
  • 悩みにもう限界が来ている

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目次

西川幹之助佑:著『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由ー麹町中学校で工藤勇一先生から学んだこと』

上記の記事を書いているのは、自身が発達障害(注意欠陥・多動性障害、アスペルガー症候群傾向、学習障害)で小学3年生の頃から、何かあるたびに「◯にたい」と言うようになった経歴を持つ、著者の西川さんです。

西川さんは、『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由ー麹町中学校で工藤勇一先生から学んだこと』(時事通信社)という本を出版している方で、現在22歳。

辛い過去の自分の経験を、その著書に書き記されています。

ネットで見たのは、その西川さんのコラムでした。

私はそれを読んで、自分の家族や自分と重ね合わせ、同じように苦しんできた人が「こうも自己変革できたんだな」と、感銘すら覚えました…

(いえ、奇跡だと思いました)

「◯にたい」から「◯にたいくらい辛い」への言い換え

西川さんは、小学3年生の頃からトラブルを起こし続け、周囲になじめず、テストで点が取れないと、教室を飛び出す毎日でした。

そして、「人に迷惑をかけてばかりだと、自分を肯定できず、小学3年生の頃から「死」の衝動に駆られるようになったと言います。

そんな西川さんの人生を変えたのが、中学2年の夏休みの終わり。

通っていた麹町中学校の工藤勇一校長(当時)から届いた一斉メールでした。

そのメールの内容は、以下のようなもの。

 “やあ、みんな。校長の工藤です。みんなは夏休みをどんなふうに過ごしているかな? 宿題が終わった人も、終わってない人もいると思うけれど、9月1日の始業式は何も心配することはありません。元気な子も元気でない子も、とにかく顔を見せに学校においで。僕もほかの先生も、君たちが顔を見せに麹町中に来てくれることを待っています。

もし何か心配や困ったことがあったら、いつでも校長室に来てください。君たち一人ひとりを麹町中は待っています”

引用:JIJI.COM

実は当時、西川さんが「死にたい、死にたくない」という気持ちが揺れ動く中で過ごしていた中学2年の夏休み終盤(2016年)、夕食中に家族で見ていたニュースで「9月1日は一年でもっとも子どもの自殺が多い日である」という事実を知ります。

そんな「ショッキングな事実」を知った二日後に届いた、校長先生からのメールだったのでした。

西川さんはそのメールをプリントアウトした用紙を握りしめて、泣いたそうです。

お母さんも泣いていました。

そして西川さんは思ったそうです。

僕が考えたのは、「死にたい」というのは、自分の存在をこの世の中から消したいのではなく、「死にたいくらい、つらい」という気持ちを伝えたいということなので、僕の真意を周囲の人に受け止めてもらえないかというものです。

 だから僕は今後「死にたいくらい、つらい」と言い換えようと思っているものの、何かのときに感情的になり過ぎて、つい「死にたい」と言ってしまうかもしれない。その場合は、「死にたいくらいつらいということ」だと理解してもらい、後は自分でどうすれば気持ちを落ち着けられるか考えるので、手助けしてもらいたいと思ったのです。

引用:JIJI.COM

「死にたい」と今まで思っていたのは、「死にたいくらい、つらい」と言うことだったのだと。

その気持ちを誰かにわかって欲しかったのだと

西川さんはそのことに気づき、

これからは「死にたい」と今後言うかもしれないが、それは「それほど辛いんだ」と理解してもらいたいこと。

また「死にたいくらい辛いんだ」と自分で言い換えるようにしたいということ。

そんな気持ちになった時の気持ちの落ち着け方を手助けして欲しいということ。

そう、両親に告げたそうです。

それから、家庭でも学校でも (ご両親が学校へ話をされた)、西川さんに協力していったそうです。

そして時間が流れ、かなり時間がかかったけれども、少しずつ「死にたい」と言わなくなり、自殺めいた行動を衝動的にしたいとも思わなくなったと言います。

以前のようにただ感情を爆発させるのではなく、「死にたいくらい、つらいので、落ち着くまで保健室に行ってよいですか」のように、今すぐに自分がどうしたいかが言えるようになってきたのです。

引用:JIJI.COM

西川さんは、そうした言葉の言い換えで変わっていきました。

もちろんそれには、ぶつかりながらも理解してくれた両親や、病院の先生、助けを求めた西川さんを見守ってくれた麹町中の先生の協力が欠かせませんでした。

最後に、西川さんはこう言います。

もし今「死にたい」と思っている人がいたら、命を守るために、今すぐにでも誰かの助けを求めて、環境を変えてください。

つらいときの解決方法は「死ぬ」ことではなく、周りに相談することです。まず、自分の身体と心を守ることを考えて、安全な場所を確保してください。

親や学校の先生が信じられないなら、電話相談、交番の警察官や駅の係員の人、誰でもよいです。一人でも多くの人に伝えてください。必ず、真剣に受け止めてくれる人がいます。我慢したり無理をしたりせずに、勇気を出して「助けて」と言ってください。

いつも死にたいと言っていた僕の心からのお願いです。

引用:JIJI.COM

まとめ

私はこの西川さんのコラムを読み、その気持ちが手に取るようにわかりました。

「ここまで自分の気持ちと似ている体験はないな」と…

ですから言いたいのです。

「死にたい」と思ってる人は、「死にたいくらい辛いと言う気持ちを誰かに伝えたいんだ」と。

誰かの手助けを必要としていることを

そして、手助けを求めて、必ずその中には手助けをしてくれる人がいる、ということを…

この記事で紹介している「西川さんの著書」です。

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